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「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」で始まる有名な古典、『方丈記』。高校でこれを習った方も多いと思います。今日は、この『方丈記』の話題です。


「ゆく河の~」の冒頭文の少し後に、「知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る」という文が出てきます。この文の「知らず」なのですが、皆さんはどういう意味で習いましたか。おそらく、文字通り「わからない」の意味で習った方が、多いのではないでしょうか。なにしろ、権威ある『日本古典文学●●』の類がこぞって、「わからない」の意味で解しているのですから、無理からぬことです。ですが、この「知らず」は、「わからない」の意味ではないようです。


漢文の大家であった故・原田種成先生の著書『私の漢文講義』(大修館書店)によれば、この「知らず」は漢文脈で用いられる「知らず」であり、疑問を強調する言葉で、「いったい」と訳すべきなのだそうです。
原田先生は10くらいの用例を挙げて、このことを見事に証明しています。さらに、先生はダメ押しで、この「知らず」は明治の文章にも時折出てきて、以前は当たり前の表現だったということも、述べています。


私もご多分に漏れず、「知らず」を「わからない」だと思っていたのですが、20年前に原田先生の御著書を読んでからは、「いったい」の意で教えるようになりました。生徒に教えるときは、鼻高々です(笑)


いいかい、これから他の国語の先生が知らないことを教えるから、よく聞きなさい。他の国語の先生は、この「知らず」を文字通り「わからない」の意味だと思っていますが、本当は違います。これは、漢文によく出てくる単語で、「いったい」という意味なのです。


誠にエラそうに教えていました(笑)


私の高慢ちきな態度はさておき(笑)、この「知らず」=「いったい」という小さな真実、おそらく知っている国語の教員は、そんなにいません。また、仮に、原田先生の御著書で、このことを知っている人であっても、「衆寡敵せず」で、「わからない」の意味だと教えている教員も、多いのではないかと推察します。


(話がそれますが、国語の問題集の模範解答に誤りがあることに気づいても、生徒に授業する際には模範解答のとおりに教えるという教員は、ごまんといます。何のために読解力を鍛えているのか、わかったものではありません。)


こうして、「小さな真実」は、時折、隠蔽されて忘れ去られます。でも、こういう「小さな真実」が私は大好きで、これからも大切にしたいと思います。


おまけ カナダのショッピファイという企業が、Amazon以外を求める北米の事業者から「アマゾンキラー」と呼ばれている、という記事をYahooで見ました。この「アマゾンキラー」という言葉を見たとき、私は「太陽戦隊サンバルカン」の敵の幹部のことだと思いましたが、これは「小さな真実」とは違います(笑)。ですが、このような解釈をした人は、私以外にもいるのではないかと、ひそかに期待しています(いないって笑)。


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