フリースクール コルネット、仙台で教育に燃えています。


昨日の志村けんさんの訃報を聞き、世事に疎い私も、さすがに動揺を隠せません。なにしろ、ザ・ドリフターズで育った世代ですから。


実はこれから書く内容は、一度書きかけてボツにしたものです。でも、やはり書こうと思いました。人によっては、この類の内容を嫌うのではないかと思います。もし、嫌な内容だったら、ごめんなさい。


これまでのブログを読んでくださった方はおわかりでしょうが、僕はかなりへそ曲がりです。ですから、高校の教員だったころ、多くの人から好かれるなどということは、ありませんでした。しかし、その曲がったところを気に入ってくださる先輩教員もいらっしゃいました。そういう方々から、何かと面倒を見ていただけたのは、我が身の幸福でした。


そんな数少ない先輩のうちの4人が、現職のうちに亡くなりました。4人とも急逝でした。いずれも尊敬していた先輩でした。


享年は、56歳、51歳、49歳、41歳だったかと思います。僕はいま53歳なので、このうちの3人より、すでに長く寿命をいただきました。


あんなにすばらしかった先輩が、いまの僕より若い年齢で逝ってしまった。僕はできが悪いから心配ないかもしれないけれど、僕だっていつ逝くかわからない。


そう思うと、53歳で自分が生きていることが、なんともありがたく感じられます。


もともと、大学に入った18歳のときから、健康診断ですでに血圧が引っかかっておりました。僕の人生において、健康診断は「憂うつ」の代名詞です。健康診断さえなければどんなに幸せか、と思っています(笑)。30代で生活習慣病を発症し、医者からは説教ばかりされ、「低レベルの人間」という扱いを受けてきました(笑)。


そんな我が身を抱えて生きていますので、もともとそれほど長生きできるとは思っていません。


考えてみると、僕をかわいがってくれた叔父の一人も、49歳で亡くなっています。僕の父の場合、67歳まで生きましたが、やはり突然死でした。僕の家系では、男性の多くはそれほど長く生きていません。そんなことを考えていると、自分がいま生を受けていられるのは、奇跡なのではないかと思ってしまいます。よく53歳までもっているなと思います。


僕が「目標を立てる」ことを苦手とする一因は、ここにもあるようです。「自分がこの先、どうなるかはわからない」という思いが、常にあるものですから。もちろん、「良いこと」が起こる可能性もたくさんあるわけですから、悲観ばかりしているわけではありません。しかし、突然死をそれなりに知り、自分の体が少しポンコツだと知る我が身には、「命は奇跡」という思いがどうしてもあります。


とにかく、僕はいま生を享けていられることをありがたく思い、一日一日を充実させることに主眼を置いて生きていこうと思います。もちろん、楽しく、面白おかしく、生きますよ!


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