仙台でがんばる「フリースクール コルネット」です。
私の運営する「フリースクール コルネット」では、一応、一通りの教科を扱っておりますが、私が最も専門としておりますのは、国語、特に現代文の指導です。以前は、高校で国語の教員をしておりました。
実は、普通の国語の先生がする教え方で、私があまりしないことがあります。それは、矢印や枠囲みを使って、本文の内容を黒板に図式化することです。(以降、野口芳宏氏の著作に従い「文図」と呼んでおきます。)
なぜ、文図をあまり書かなかったかというと、あまり意味がないと思っていたからです。では、なぜ、あまり意味がないと思っていたのか。大きな理由は、
我々は文図を書くために文章を読んでいるのではない、
ということです。
我々は何かを得るために文章を読みます。その際、「文章理解を容易にするために」文図というものがあるのだと思います。しかし、文図は実際そのような役に立っていないように思います。もし、役に立っているとすれば、その先生がかなり上手に文図が書けるのだと思います。
私は、少なくとも他の国語の先生方が黒板に書くような文図の形では、文章を理解しておりません。正直言って、今まで見てきた他の先生方の文図は、私にはわかりにくかったです。ですから、文図をノートに写しても、文章理解は容易にならなかったわけです。
二十年以上前の話ですが、私はある国語の先生の授業を見て、絶句しました(ごめんなさい)。それは詳しすぎる文図が黒板いっぱいに書かれる授業でした。正直に言いますが、私のそのときの感想は、「この文図を読み解くより、本文を読む方が簡単でいい」というものでした。
最近はあまりないかもしれませんが、かつてはこのように「文図を書く」ことが目的になっている国語(現代文)の授業が結構ありました。そういう授業を見るたびに、「何のための授業なのですか」と暗澹たる気持ちになりました。
では、おまえは、どんな授業をしてきたのかって?
それは、次回にまわしますが、その前に私がめったに書かない文図を書いたときは、どういうときだったのかを、述べて終わりにします。
私が文図を書くときは、「その方がすっきり単純化して理解できる」と判断したときです。本文ではぐっちゃりしている論理が、図式にするとスーッと理解できる、そんなときに書きました。そして、おそらく、私の場合、他の国語の先生よりも、うんと単純化して文図にしておりました。
また、本文全体を文図にするなどということも、ほとんどやったことがありませんが、本文全体の論理がきわめてすっきりしているときに、全体の文図を書きました。いままでの人生でたぶん5回以下です(笑)
めったに用いない文図ですが、仮に用いたときでも、部分をすっきり理解してもらうために、まれに用いた、という次第です。(次回に続きます)
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