フリースクール コルネット、仙台でがんばっております。
ずいぶん昔の話ですが、高校に入学したある生徒さん、最初の定期試験で著しく悪い点をとってしましました。試験科目の中には、平均が80点にもなるようなやさしい試験もあったのですが、その生徒さんはその科目でも一人だけ低い点数をとっていました。
気になって、その生徒さんと話をしました。わかったことは、中学時代、どうやらお父さんが本人にくっついてガリガリ勉強させていたらしいということです。そのおかげで、高校入試は突破したけれども、入学してからは何もやる気がなくなったとのことでした。
そして、お父さんと面談する機会がありました。その際、お父さんに学歴コンプレックスがあるということがわかりました。自分は高卒で、出世できなかった。だから、この子には大学に行ってもらい、幸せになってほしい。これがお父さんの気持ちでした。
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よく言われることですが、親に学歴コンプレックスがあって、子どもをつかってそのコンプレックスをはらそうとすると、あまりいい結果になることはありません。子どもの方は、自分の心からの動機があって勉強しているのではなく、親のコンプレックスに付き合わされて勉強するのですから、当然いい気分はしません。得てして親は、「おまえのためなんだぞ」と言いますが、子はそんなに学歴を望んでいないかもしれません。親の人生と子の人生は別物です。親が学歴コンプレックスを持ったからといって、子も学歴コンプレックスを持つとは限りません。学歴がないために出世できないことを嫌だと思う人もいれば、釣りバカ日誌のハマちゃんみたいに出世なんかどうでもいい人だっています。
所詮、自分のコンプレックスは、自分で引き受けるしかありません。親は親で自分のコンプレックスを引き受けるべきですし、子は子で自分のコンプレックスを引き受けるべきです。学歴にコンプレックスがあるのなら、その本人が勉強して学歴を手にすればいいのです。
人が不幸になる一つのパターンは、「自分で自分の人生を引き受けられない」ということです。言いかえれば、「自分の行動に自分で責任を負う権利を奪われる」ことです。親に厳しく監視されて勉強をしている子どもは、親の敷いたレールの上を走らされているだけで、自分の責任で自分の行動をする権利を奪われているのです。親は子どもの人生を見るとき、大卒であるとか高卒であるとか「形」で見ないで、本人が幸せで充実した人生を送っているかどうかを見てほしいと思います。
えらそうに書きましたが、私も以前は県立高校の教員だったので、自分で自分の行動に責任を持つことができませんでした。制度上、責任は管理職や教育委員会が、もっと厳密に言えば「県」が持っていました。そして、極端に言えば、それは自分が「歯車」であり、自由な教育ができないということを意味していました。しかし、いまは違います。「フリースクール コルネット」は私一人で、私自身の腕だけを頼りに運営しています。評価されても、批判されても、それは私がすべて自分の身で受け止めます。もし、評価していただけるのであれば、私の責任で、私の意志で、お客様のために誠心誠意働く所存です。