フリースクール コルネット、仙台で教育に燃えています。

「ビジネスの世界に答えはない」とよく言いますね。そのとおりだと思いますし、そういう経験も少しはしているつもりなので、そのことを否定する気はありません。


また、「学校の勉強なんか、実社会の役に立たないのに、どうして無理にやらせるんだ」というのも、よく聞きます。このことに関しては、以前のブログで少しだけ論じたので、いまは繰り返しませんが、たしかに「役に立たない」ことに深入りしている場合はあります。



最近、仕事の関係で、数学と地理の勉強をすることが多いのですが、やっているとなぜか、ほっとする瞬間があります。それは、すべての問題に、正解があるからです。仕事のことを考えて、次にやるべきことは何かと考えているときは、正解がないので、プレッシャーがあります。やることに実効性があるのかわからないので、軟弱な私は、やる気が起きないときもあります。しかし、少なくとも、中学の数学や地理には正解があり、やっていることがすべて報われるので、安心感があります。


「世の中の問題には答えがないのだから、学校でやるような答えのある問題ばかりやらせても、しかたがない」という考え、一見ごもっとものように見えます。しかし、そうとばかり、言い切れるでしょうか。もし、人として考えるべき問題が、すべて答えのない問題だとしたら、人ってそんなに考え続けることができるのでしょうか。エジソンのようなすごい人ならそうかもしれません。しかし、軟弱な私には、そんなことできません。


「答えのある問題」というのは、「答えのない問題」に立ち向かうための「基礎練習」として、大切なのではないでしょうか。私たちは、程度の差こそあれ、子どものうちに、「答えのある問題」にある程度取り組んできているから、「答えのない問題」にもチャレンジできる「体力」があるのではないでしょうか。


そもそもすべての問題が、答え=正解のわからない問題だとしたら、「答え」「正解」という概念すら存在しないはずです。私たちが「答えのない問題」に立ち向かえるのは、唯一絶対の「答え」がないことがわかっていながらも、どこかにそれなりの「答え」があると思っているからではないでしょうか。


世の中には、いろいろな「資格試験」がありますが、これも、論述問題などを除けば、だいたい「答え」があります。世の中の問題が、すべて「答えのない問題」だとしたら、資格などというものも必要ありません。


多くの著作のある高橋洋一先生は、数学の知識を駆使して、政策提言をなさっています。勝手な妄想ですが、高橋先生の前で、「答えのある問題」は「答えのない問題」を解く役に立たないなどと言ったら、「あなたはそう言えるほど、数学がわかっているのですか」と言われても、しかたのない気がします。


「答えのない問題」を解くための基礎練習として、「答えのある問題」を解くことの効能に、いま一度光を当ててもいいのではないでしょうか。


もちろん、「答えのある問題」ばかりやっていればいい、と言っているのでは、ありませんよ。念のため。

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