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最終回は「勉強はなんのためにするのか」の番外編です。「なんのために」ということとちょっと違うのですが、知っておいた方がいいことを書いておきます。
昔、ある大学の先生から、聞いた話です。
その先生のいらっしゃる大学では、ある年、入試科目から英語をはずしたそうです。そうしたところ、勉強しない学生ばかりが集まってくるようになったとのことです。その大学ではあわてて英語を入試科目に復活させたそうです。
つまり、その大学では、英語が本当に大切なのかどうかはさておき、「英語の試験によって、大学の勉強に耐えられない学生をふるい落とす」ということをやっていたわけです。
また、「秋保おはぎ」で有名な「主婦の店 さいち」の社長である佐藤啓二氏は、著書『売れ続ける理由』(ダイヤモンド社)の中で、次のように述べています。
(以下、引用)
採用試験で学校の成績を重視しない会社も多いようですが、私は「努力できるかどうか」の判断として、成績を重視します。たとえ、あまり偏差値の高くない高校や大学でも、通知表の成績がよいということは、その中でもきちんと努力してきた証になります。ちょっと偏差値の高い学校に入っても、その中で努力してこなかった人はダメなのです。
(引用終わり)
つまり、「通知表の成績がよい」ことを「努力」の証拠とみているわけです。
以上、二つの例から、おわかりでしょう。なんのために勉強をするのかはさておき、学習成績は、どれだけ努力できるかが表れているものとして見られる傾向が、世の中にはあるということです。
たしかに、学校の成績がその人のすべてを表すということは、ありません。学校の成績が振るわなくても、すばらしい方はたくさんいらっしゃいます。しかし、学校の成績が、その人のある面を表しているということは、否定できないでしょう。
やはり、私も含めて多くの人にとって、勉強はそんなにおもしろくないです。しかし、おもしろくないからこそ、どれだけ努力したかのものさしとして、勉強は使われてしまうのですね。いや、他人事のように書きましたが、私だってそういう目で人を見る部分があります。
でも、繰り返しになりますが、学校の勉強をしなければ幸せになれない、ということはありません。かのエジソンだって、小学校では落ちこぼれです。目の前の関心事に打ち込んでいるうちに、発明王になりました。勉強をしなくても幸せになれた人の多くは、打ち込めるものを持っているということが言えるかもしれません。打ち込めるものを人生の中心に置くと、そのために必要な「打ち込めないもの」にも対しても、おのずと努力できることがあります。エジソンも発明ばかりしていたわけではなく、商才に長けていたとも言われています。勉強がいやな人は、打ち込めるものがあるといいのかもしれませんね。
えっ、打ち込めるものもない? うーん、そういう場合は、やはり目の前のことを一生懸命やるしかないでしょう。勉強や家のお手伝い、あるいはアルバイト? 何もしないよりかは、何かをした方がいいと思います。そうすると、自分がそれを好きなのかどうか、あるいは、自分にそれが向いているのかどうか、がわかりますから。あまり力まずに、とりあえず目の前のことをやってみては、いかがでしょうか。
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