フリースクール コルネット、仙台で教育に燃えています。


前回の続きです。今日は「勉強はなんのためにするのか」ということを、「国家・社会レベル」で考えます。


【「勉強はなんのためにするのか」国家・社会レベルでの考え】


これはもう、はっきりしています。日本の国力を増すため、日本という社会をより良く、より高度に、よりすばらしく、より楽しい社会にするためです。わかりやすくするために、極端な例を出します。

①日本国民1億2千万が全員、高校程度の国語や数学を理解している状態
②日本国民1億2千万が全員、小学3年までの国語と算数しか理解していない状態

皆さんは、日本国民としてどちらを望みますか? 普通は①だと思います。中には②の方がいいという人もいるかもしれませんが、日本の昔からの文化レベルの高さを考えると、多くの日本人は①に落ちつくと思います。日本人は総じて、いまの日本のような、そこそこ文化レベルの高い社会が好きなのです。


我々の大好きなスマホ。そのスマホは、②の状態ならたぶん作れません。自分がスマホのゲームばっかりやって勉強しないとしても、誰も勉強しなくなってスマホを作れない社会になったら、困りませんか。


人それぞれ、大好きだったドラマやアニメ、マンガや映画などあるでしょう。日本国民が②の状態で、それらを作れるとは考えにくいです。たとえ我々が恋愛ドラマにはまって勉強しなくても、恋愛ドラマの脚本が書ける人がいないと、困りませんか。


本当はもっともっと例を出した方が、説得力が出てくるのですが、この辺でやめます。極端な例でしたが、要するに、日本の文化レベルを維持するためには、なるべく多くの人が勉強して、日本国民という母集団の知的レベルが、ある程度高い状態を維持しないといけないのです。そうしないと、スマホを作ったり、ドラマを作ったりできるような、一定数の優秀な人が出てきません。これは、前回まで考えていた「個人レベル」での勉強の必要性とは、次元が違うものです。


明治時代、義務教育の制度が初めて作られました。理由は、「日本を植民地にされないようにするため」です。文明開化の折、日本の国力が西欧諸国に比べて弱いことがわかりました。そして、西欧諸国に植民地にされないようにするには、軍備を整え、政府を整え、法律を整え……と日本社会の様々な面を、レベルアップしなくてはいけなくなりました。そのレベルアップを担うエリートを生み出すために大学ができ、その予備校ができ、そして、学問の裾野を広げるために、義務教育が整備されていきました。当時の小学校の体育では、軍人になるための体づくりをしていたらしいです。


「勉強しろ!」の源流は、この明治時代にあるのではないかと思います。明治時代に「勉強しろ!」が生まれたのは、日本を強くするためだったのです。余談ですが、明治時代の親などは、結構義務教育を嫌がっていたらしいです。「うちの大切な労働力を、なぜ学校に差し出さなければならないのだ」ということです。現代とは逆です。また、「学問をするようになると、働かなくなっていかん」という考えの人も、結構いたらしいです。そんなことを考えると、「お国や社会のために勉強する」の源流は、明治の義務教育にあるような気がします。


そして、我々大人は、私も含めて、自分が勉強するのは嫌ですから(笑)、子どもには「勉強しろ」と言って、国家や社会のレベルを高いままにしたがるのです。こう考えると、自分がろくに勉強もしなかったくせに、子どもには「勉強しろ」という人があれだけ多くいるのも、うなずけるわけです。


「勉強しないと困るのは自分なんだぞ」という言葉が、いかにウソなのか。ここまで考えると、私はわかる気がします。まあ、この言葉を使う人自身が、大して勉強をしていないことが多いので、その時点でウソだとはわかりますが(笑)


次回、最終回です。


「フリースクール コルネット」では、3月、「春の得UPキャンペーン」を実施します。
https://cornet-fs.biz/harutoku/


#フリースクール #不登校 #引きこもり #支援 #学習塾 #受験 #個別指導 #小論文 #子育て #現代文 #国語 #企業研修 #仙台 #宮城



この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事