フリースクール コルネット、仙台でがんばっております。
続けることが大事、とよく言います。私もこれまでのブログに、たぶんそんなことを書いていると思います。
でも、続けるのって、大変ですよね。
正直に言いますが、僕自身が何も続けられない人です。いままでで最も長く続いたのは、教員生活でしょうか。26年続きました。でも、これだって、定年退職を待つことなく、自らの手で終止符を打ちましたから、やっぱり続いていません。大好きな「教育」でもそうですから、他のことなんかほとんど三日坊主です。「いまでも続いていることは?」と聞かれたら、「食べることと寝ること」と答えるしかなさそうです。
でも、続けることが、さまざまな事柄を習得するために必要だというのは、おそらく真実です。
では、どうしたら続けられるのでしょうか?
なんでも三日坊主の僕が語る資格はないのですが、何かのヒントになるようにということで語ります。
僕はいま、吹奏楽と合唱をやっています。一応、続いています。どちらも5年くらい続いています。どうして続けられるのでしょうか?
答えは簡単です。やめていないだけです(笑)
昨年末からスランプのため、僕は合唱団パリンカの練習を2か月休みました。しかし、2月に入って、ひょっこり練習に出ました。2か月も休んでいたのに、1回練習に出ただけで「続いている」ことになります(笑)
これが、「毎回練習に出るんだ!」と意気込んでいたらどうでしょう? 1回休んだだけで、「どうして僕は休んでしまったんだ。ダメなやつだ」と自分を責めてしまうでしょう。えっ、大げさですか? でも、子どものころの僕は、実際にそんな感じでした。
もちろん、プロの人たちは、ほとんど毎日練習しなくてはならないでしょう。しかし、われわれアマチュアは、そんなにムキになったら、つかれてできません。実際、いい加減な人の方が、なんでも長続きしやすいものです(笑)
実は、僕自身は「継続する」「続ける」という言い方を好みません。「やめない」という方が好きです。たとえ、半年くらいやっていないことでも、1回でもやればやめなかったことになるのですから、簡単です。
47歳でトランペットを再び始めたとき、自分の下手さと根性のなさに向き合わなくてはなりませんでした。僕がもし、中学生や高校生のときのような「努力家」だったら、たぶん悔しさのあまり、続かなかったでしょう。しかし、幸いなことに、47歳になった僕は、努力をすることができませんでした。自分がいかにしょうもない人間であるのかも、47年間で知り尽くしていました(笑)。そのおかげで、自分に期待しないで、たまに時間があるときに「プー」と吹く、ということが続けられました。ちょっと吹くだけのことが、少しずつたまっていき、時間がたって、いや、「期間」が過ぎて、少しは吹けるようになってきました。
「続けている」と言ったって、寝ているときやご飯を食べているときやお風呂に入っているときは、続けられません。ということは、どんなに「続いている」と言っているものでも、必ず「断続的」です。やっているときとやっていないときを、交互に繰り返しているのです。
でしたら、やっていないときの自分を責めずに、やれるときにやる。これでいいのではないでしょうか。
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