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昨日、我が師匠である松尾公輝先生の「ビジネス独演会」を拝聴しました。基本的には、zoomで配信するということをベースにしていた独演会ですが、わたしは師匠に直訴して、「現地で聞かせていただいてもいいですか」とお願いしました。zoomでパソコンを通して拝聴しても、身にならないような気がしたのです。幸い、師匠からは許可をいただけましたので、現地で拝聴しました。

いやあ、やっぱり生で師匠の講演を聴くのは、違いますね。熱気が、ライブ感が、迫力が、師匠の生き方が伝わってきます。zoomでパソコンを通して聞いたのでは、この感じがすべて伝わったかどうかわかりません。わたしは現地で、何度も笑いながら、拝聴しておりました。zoomでそんなに笑えたのかどうかも、心もとないです。

最近、ツイッターで、「学校はいつまでたってもリモート授業が発展しない」というご意見を目にします。このご意見にはごもっともな面もあります。しかし、一つだけ、元高校教員だった身として、学校のために弁解してやりたいことがあります。

学校の教員というのは、ライブのすばらしさを体感しているのですよ。

もし学校が「知識の伝達」だけを目的にしているのであれば、たしかにリアルの授業はいらないです。この世界には「本」というすばらしいものがあります。知識の伝達は、「本」ですみます。ですから、「知識の伝達」だけなら、「リモート授業」すらいらないです。「本」さえあれば、十分なのです。

えっ、「本」では理解できない人もいるから「リモート授業」が必要ですって? そうですね、それはそのとおりです。ですが、それは「リアルの授業」にも言えるのです。「リモート授業」では、表情がわかりにくい、当意即妙の反応がしにくい、熱気が伝わらない、感情が伝わらない、などのデメリットがあります。「リモート授業」では超えられない部分が、「リアルの授業」はあるのです。「リモート授業」は、けっして「リアルの授業」とイコールにはならないのです。これは、音楽や落語をCDで聞くか、ライブで聞くかの違いにも通じます。

僕は「リモート授業」の価値を全否定する気は、まったくありません。実は、僕のスクールでも、「リモートの授業」はやっております。実際に、生徒さんに勧めたこともあります。また、かつて東京の社会人の方に小論文の指導をしたときには、実際に「リモート」で実施しました。しかし、いま通っている生徒さんは、「リモートより、スクールに通って指導してもらう方がいい」と口々に言います。リモートにはどうにもならない価値が、リアルにはあるのです。そのことは、「リモート推進派」には、理解しておいてほしいと思います。

「ライブの授業」「リモートの授業」「本」、それぞれに価値があります。どれかの価値だけを「これだけがすばらしいんだ」と主張するのは、違うと思います。それぞれの良さを生かすことが大切なのではないか、と思っています。

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