フリースクール コルネット、仙台でがんばっております。

前々回、『論語』に触れましたので、また、論語に触れたくなりました(笑)。こんな話があります(内容は新川が大ざっぱにしました笑)。


ある人が孔子に「うちの村に正直者がいて、父が羊を盗んできたのを、オープンにしました」と言った。すると、孔子は「僕らの正直者とは違いますね。僕らだと父は子の悪さを隠してやるし、子も父の悪さを隠します。それが僕らの考える正直です」と言った。(論語・子路第十三)


私はそれこそ「正直言って」(笑)、この言葉の意味がわからなかったのです。もちろん、表面的な意味ではありません。なぜ、あの孔子がこのような言葉を言うのかが、わからないのです。他の人たちには、あれだけ厳しい言葉を投げかけるのに、なぜ悪さを隠すことが「正直」だと言うのかが、わからないのです。


……ですが、最近、この言葉の意味が少しわかったような気がします。素直に、「縁のあった人を守ろうとする自然な情」ととらえていいのではないか、と思うようになりました。


私は主に中学生や高校生を対象に仕事をしていますが、もちろん大切にするのは、私のところに来てくれる中学生や高校生です。縁もゆかりもない遙か遠くの中学生や高校生まで、大切にしているわけではありません。あくまでも、「縁のある」方々を大切にしています。まあ、当たり前です。


私は吹奏楽や合唱をやっていますので、吹奏楽や合唱をやっている方に、親近感がわきます。しかし、一番大切にするのは、私の属する仙台吹奏楽団や合唱団パリンカの仲間です。これもまあ、当たり前です。


親子で悪事を隠すというのは、たしかに極端です。しかし、孔子がおっしゃっているのは、人としての当たり前の情に対して素直になっていることを「正直」と言うんだよ、ということなのかもしれません。


そもそも、孔子は真面目すぎる人みたいに言われることが多いですが、一方で極めて人間くさい人でもあります。優秀な弟子である顔回が孔子より先に亡くなったとき、孔子はひどく泣きじゃくり、「天は私を滅ぼした」とまで言いました。軍隊に囲まれても動揺しなかった、あの孔子がです。


そう考えると、人間としての自然な情のあり方に対して、「正直」と言ったのだと思われます。


私も、自分と縁のあった人を大切にして、生きていきたいと思います。


〔おまけ〕 孔子の人間くさい一面といえば、音楽のことがあります。ある曲を聴いたとき、三か月も肉の味がわからなくなるくらい感動したといいます。「知らなかった。音楽というものが、ここまですばらしいとは!」と言ったらしいです。まあ、「三か月」は、漢文によくある誇張だと思うのですが(笑)


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