フリースクール コルネット、仙台でがんばっております。

ご存じのとおり、「皆勤賞」とは「1回も休まなかったときにもらえる賞」です。私の知る限りでは、高校の場合、1年単位ではなく、3年間で1回も休まなかった場合にもらえることが多いです。


皆勤賞をもらえたら、本当にすばらしいです。もらえた人は誇りに思っていいと思います。


にもかかわらず、私は、皆勤賞という考え方があまり好きではありません。それは以下の理由によります。


かつての教え子ですが、2年生の半ばまで、まったく休みのなかった生徒さんがいます。しかし、どうしても、ある事情で、2年生の途中で1日休んでしまいました。その生徒さんは皆勤賞をねらっていたらしいのですが、その日で皆勤賞はなくなったわけです。……その後、その生徒さんは、月に1、2回学校を休むようになりました。


別に月に1、2度休んだっていいのですが、私が着眼したいのは、なぜそんなに急に欠席が増えたのかということです。要するにこの生徒さんにとって大切なのは「皆勤賞」という賞をもらうことであって、できるだけ出席するということではなかった、ということです。


実は、このような生徒さんは一人ではありません。結構多くいるのです。「皆勤賞がなくなったら、途端に休みが増える」、私はこういう生徒さんを、何人も見てきました。


これは「皆勤賞」のはき違えだと思います。


「皆勤賞」は、良し悪しは別にせよ、本来、なるべく学校に来ることを奨励するためのものです。皆勤賞を目的として、「なるべく学校に行こう」と努力する態度が、この賞に臨む際の正しい態度だと言えるでしょう。それなのに、皆勤賞が破れた時点で、学校に行くことがどうでもよくなる。本末転倒なのです。


(私は現在、「フリースクール」をやっているので、「なるべく学校に行こう」という価値観は必ずしもとらないのですが、いまは議論を単純化するため、その件は保留しておきます。)


そのうえ、学校の教員も、「皆勤賞をねらいましょう」と言ったりします。皆勤賞の「自己目的化」を、教員自らが進めてしまったりするのです。


皆勤賞に臨むうえで大切なこと、それは「皆勤賞が破れた後に、自分がどうするか」です。


いまふうに言えば、皆勤が破れた後のレジリエンスです。


しかし、多くの人は、「皆勤賞、皆勤賞」というだけで、破れた後の行動に目もくれないのです。


そういうわけで、私は「皆勤賞」というものは、あまり好きではありません。


私は、高校の教員時代、担任していた生徒さんたちに、「皆勤賞なんて運もあるから、そんなに目指さなくてもいいよ」と言っていました。「大事なことは、休んでもまた立て直すことだよ」と言っていました。


私は、皆勤賞よりも精勤賞みたいなものがいいと思います。「3年間で、欠席3回以内、遅刻3回以内、早退3回以内」みたいなものです。これなら柔軟性があっていいと思います。


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