フリースクールコルネット、仙台で細々と個別指導をしています。オンライン授業もやっています。
昔から私は、何をやっても長続きがしませんでした。何でも中途半端なまま投げ出す人間でした。ですが、47歳から再び始めたトランペットが、10年以上つづきました。
若いころはダメだったのに、この歳になってどうして長続きしているのか。理由はいくつかあります。一つには、歳をとって月日がたつのが早くなり、飽きるよりも先に月日がたってしまったこと。一つには、昔みたいに一生懸命でなくテキトーにやっているから、つらくないこと。……こうしてみると、ろくでもない理由ばかりです。しかし、さらにもう一つ、大切な理由があります。それは、どんなにいいかげんにやっていても、結局は「やめていない」ということ。やっぱり、ろくでもない理由でしたね。
でも、この「やめていない」ということは、あんがい大事ではないかと思います。昔は自分に高いレベルを要求していたせいか、何かがうまくいかないと心がプッツンしてやめました。しかし、いまは努力をしていないので、やる気がなくなっても、また忘れたころにやり始め、一応継続しています。いや、正確に言えば、継続でなく「断続」ですね。でも、この「断続」が私には合っているようです。あんがい大事に思えるのです。
これは、勉強についても言えそうです。われわれはつい、「毎日の積み重ねが大事だ」と言ってしまいます。しかし、毎日でなくても、勉強した分は生きています。むしろ、勉強をしていないインターバルの時間が大事なこともあります。インターバルの時間に、知識や技術が「熟成」することもあるのです。
もし、エヴィングハウスの忘却曲線を生かして勉強するのなら、新しい勉強をしたら1時間後にもう一回復習しないとムダになりそうです。しかし、新しいことを学ぶたびに1時間後にまた学び直すなんて、現実にはそうそうできません。でも、われわれはいつの間にか、新しい知識を習得しているではないですか。
わたしは今年の3月、古文をずっと読んでいました。しかし、いまは読んでいません。新年度が始まったころ、ちょうど飽きたのです。忙しくなったこともあり、いまは仕事で必要な分しか読んでいません。しかし、「やめた」とは思っていません。いつかまた、続きをやるだろうと思っていますから。まあ、やらないかもしれませんけど。
いずれにしても、プッツンすることを、私は以前より恐れなくなりました。子どものころや若いころと比べるとずいぶんいいかげんですが、私はそれでいいと思っております。「断続」って、なかなかいいですよ。
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