フリースクール コルネット、仙台でがんばっております。

タイトルは、今日のテーマを「今年の漢字」風にしてみただけです(笑)


以前、コンクールなんて不平等だという趣旨のブログを書きました。読書感想文や合唱のコンテストを引き合いに出しながら、客観的な審査基準などない、ということを主張しました。この話、もう少し掘り下げてみます。


コンクールや審査が不平等であるとは書きましたが、審査する方は真剣そのものです。合唱のコンテストの審査員は基本的に音楽のプロです。いいかげんな点数のつけ方をすれば、自分の仕事にも影響します。ですから、審査には全身全霊であたっています。それなのに、点数が割れ、結果的には不平等になるわけです。


そこで、僕はこのことを、別の角度からこう言ってみたいと思います。


「正しさはいくつもある」


若いころの知り合いで、何かについて語るときに、しょっちゅう「それ、絶対おかしい」みたいな言い方をする人がいました。僕はその人とは親しかったものの、心の中で「あなたはいつから神様になったのですか?」といつもつぶやいていました。「よくそれだけ自分が正しいと思えますね」と、正直言ってなかばあきれてもいました。生まれてから、何一つ間違えないで生きてきたのかな、などと思っていました。


普通に生きていれば、「何が正解かわからない」場面になど、何度も遭遇しているでしょう。そして、「正解はいくつもあったね」という事柄にも遭遇しているはずです。


それなのに、頻繁に「それ、絶対おかしい」みたいなものの言い方をされると、世間を知らないのではないかと疑ってしまいます。


「数学より地理の方が簡単だ。」中学校レベルで考えると、多くの方にとって、これは真実かもしれません。しかし、私は地理より数学の方がラクでした。


私が普段たしんなんでいる吹奏楽や合唱などの音楽の世界でも、曲の作り方は指揮者によって違います。また、ピッチや音程に対する捉え方や考え方も、絶対音感の人と相対音感の人とでは微妙に違うのではないかと思います(すみません。少しマニアックなことを言いました。)


いずれにせよ僕自身は、「本当に僕の考えていることは正しいのか」と疑いをはさみながら、生きていこうと思います。


「正しさはいくつもある」ということを、胸にきざんで生きていこうと思います。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事